原著の前書き

翻訳書では省略されているが、原著の冒頭には不確定原理の提唱者ヴェルナー・ハイゼンベルクの「われわれの目に見える真実は、決して真実そのものではない」というエピグラフに続いて「前書き」がついている。2ページ足らずの分量だが、本書のテーマにつながる興味深い内容なのでかいつまんで紹介しておきたい。
 
シーラッハには地方裁判所の特別重罪部の裁判長を務めていた叔父がおり、職務で扱った様々な事件を幼いシーラッハたちに語って聞かせてくれたのだが、話はいつも次の決まり文句で始まった。「ほとんどの物事は複雑な背景をもっていて、罪というのは問題の一部分でしかない」。この言葉は今もシーラッハの心をとらえ、作品を貫くモチーフとして息づいている。犯罪者たちはみなそれぞれの物語をもち、私たちと何ら変わるところはない。人生が薄氷の上で踊るダンスだとすれば、冷たい水中に落ちた犯罪者と私たちとの違いは、足もとの氷が割れないでいるという幸運が続いているかどうかだけなのだ。
 
この叔父は第二次大戦中の海戦で左腕と右手を失うというハンディキャップを負っていたが、決してくじけることなく、優秀な刑事裁判官として名声を得ていた。しかし、彼はある日ひとりで趣味の狩猟に出かけたまま、帰らぬ人となってしまう。森の中で猟銃の銃口をくわえ、頭を吹き飛ばしたのである。彼が親友に残した短い遺書には、もう十分だとだけ書かれていた。そして、その出だしはこう始まっていた。「ほとんどの物事は複雑な背景をもっていて、罪というのは問題の一部分でしかない」。本書ではこの叔父のような人々とその物語を描いている、という言葉で前書きは結ばれている。

ドイツの刑事裁判

ドイツにおける刑事事件の管轄は、犯罪の種類により複雑に定められているが、第一審裁判所は、原則として、区裁判所または地方裁判所である。
 
より軽微で重要性の少ない犯罪を担当するのが区裁判所であり、そのなかに2種類の裁判所がある。まず、法定刑が2年以下の自由刑(懲役・禁固など自由を拘束する刑)である軽罪事件や秩序法違反事件を管轄するのが、刑事単独裁判官(Strafrichter)である。これに対し、法定刑が2年~4年の自由刑の事件は、参審裁判所(Schöffengericht)が審理する。『棘』で、フェルトマイヤーが参審裁判所に起訴されたことは「二年から四年の実刑を意味した」(183頁14行目)とあるのは、このためである。その構成は、職業裁判官1名と参審員2名であるが、ときには職業裁判官2名と参審員2名による大参審部によって審理されることもある。
 
地方裁判所が管轄するのは、法定刑が4年以上の事件である。これにも2種類ある。ひとつは大刑事部(Große Strafkammer)であり、原則として職業裁判官3名と参審員2名により構成されるが、事案の内容によっては職業裁判官の人数を2名とすることも可能である。『ハリネズミ』のワリド、『エチオピアの男』のミハルカの法廷がこれである。もうひとつは、殺人や強盗致死、重放火など一定の重大犯罪(裁判所組織法74条2項に30種類が列挙されている)を対象とする特別重罪部(Schwurgericht)であり、構成はこちらも職業裁判官3名と参審員2名である。『フェーナー氏』のフェーナーと『サマータイム』のボーハイムを審理したのがこの特別重罪部である。なお、Schwurgericht の直訳は「陪審裁判所」であり、まぎわらしい。ドイツでも19世紀末以降、裁判官3名と陪審員12名で構成される英米流の陪審裁判所が存在していたが、これを1924年に廃止して参審制度に改めるさいに、従来の名称がそのまま残されたという歴史的理由による。