原著の前書き翻訳書では省略されているが、原著の冒頭には不確定原理の提唱者ヴェルナー・ハイゼンベルクの「われわれの目に見える真実は、決して真実そのものではない」というエピグラフに続いて「前書き」がついている。2ページ足らずの分量だが、本書のテーマにつながる興味深い内容なのでかいつまんで紹介しておきたい。
シーラッハには地方裁判所の特別重罪部の裁判長を務めていた叔父がおり、職務で扱った様々な事件を幼いシーラッハたちに語って聞かせてくれたのだが、話はいつも次の決まり文句で始まった。「ほとんどの物事は複雑な背景をもっていて、罪というのは問題の一部分でしかない」。この言葉は今もシーラッハの心をとらえ、作品を貫くモチーフとして息づいている。犯罪者たちはみなそれぞれの物語をもち、私たちと何ら変わるところはない。人生が薄氷の上で踊るダンスだとすれば、冷たい水中に落ちた犯罪者と私たちとの違いは、足もとの氷が割れないでいるという幸運が続いているかどうかだけなのだ。
この叔父は第二次大戦中の海戦で左腕と右手を失うというハンディキャップを負っていたが、決してくじけることなく、優秀な刑事裁判官として名声を得ていた。しかし、彼はある日ひとりで趣味の狩猟に出かけたまま、帰らぬ人となってしまう。森の中で猟銃の銃口をくわえ、頭を吹き飛ばしたのである。彼が親友に残した短い遺書には、もう十分だとだけ書かれていた。そして、その出だしはこう始まっていた。「ほとんどの物事は複雑な背景をもっていて、罪というのは問題の一部分でしかない」。本書ではこの叔父のような人々とその物語を描いている、という言葉で前書きは結ばれている。
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