フェーナー氏

Fähner

12頁
2行目
ふたりはとても生真面目で、人に溶け込めず、寂しかったのだ。
Sie waren ernst, fremd und einsam.
 イングリットが生真面目なはずはないし、多くの人に親しまれているフェーナーが人に溶け込めなかったり寂しかったりするのもおかしい。ここは世間との関係を述べているのではない。突然の告白と誓いによってハネムーンの甘い日々が一転したという、二人の関係を述べているのである。その後の夫婦関係を暗示する箇所である。

ふたりは真剣で、互いを他人のように感じ、それぞれが孤独だった。

16頁
8行目
その瞬間、なにを思ったか、フェーナーはあとで正確に思い出すことができなかった。心の奥底で、その金属が固く鋭く光りはじめた。その光のなかで、すべてがはっきり見えた。まばゆいほどに。
Fähner würde später nicht genau beschreiben können, was er in diesem Moment dachte. Es habe in ihm, ganz tief unten, hart und scharf zu leuchten begonnen. Alles sei überdeutlich in diesem Licht gewesen. Gleißend.
 思い出せはするが、うまく言葉に表現できないのである。2文目以下は、その瞬間に感じたことを、接見した「私」に対して、このようにしか伝えられなかったと間接話法で述べている。
 翻訳は、2文目の主語 es を直前の段落の「ぴかぴかの金属が鳴るような声」からとって「その金属」としている。しかし、フェーナーのセリフのなかに地の文の表現である「金属」が出てくるのはおかしいし、イングリットの不快な声がとうとう我慢できなくなったという平凡な話になってしまう。「それ」とはフェーナー自身にも言い表せない何かであり、強烈な光となって芽生えたその何かが内側から彼を飲み込み、意識を支配したのである。なお、内部からの光とそれによる神経の異常な鋭敏化という描写は『棘』でも用いられている(182頁6行目)。

フェーナーは、その瞬間に考えたことを、あとで正確に表現できず、次のように言うのが精一杯だった。心のずっと底の方で何かが光り始め、強さと激しさを増すその光によってすべてが途方もなく鮮明に照らし出されたのです、目を焼くほどのまばゆさでした、と。

19頁
5行目
突発的な暴力は、ずっと気持ちを押し込めてきた真空容器がひび割れた結果なのだ。
Die Gewalteruption war das Bersten des Druckbehälters, in den er lebenslang durch seinen Eid eigesperrt war.
 翻訳では、犯行が単なる感情の暴発のようになってしまうが、圧力容器(Druckbehälters。真空容器とは逆である)に閉じ込められていたのはフェーナー自身である。何度か出てくる「囚われの身」という言葉にも対応しているので、きちんと訳すべきである。

誓いの日以来、彼の人生を閉じ込めていた圧力容器が、暴力のほとばしりとなって破裂したのだ。

20頁
3行目
フェーナーは自己弁護した。
Er verneigte sich, ……
 おそらく verneigte を verteidigte と見誤ったのだろう。この誤訳のせいで、その後に続くフェーナーの最終陳述の印象が大きく変わってしまう。

フェーナーは深々と頭を下げた。